俯瞰としての体
力が抜けてくると、体が俯瞰(ふかん)的になる。
例えば崩し合いの稽古などで、相手の肉体そのものに力みや張りが残った上で術を駆使しようとして来た場合、こちらの肉体は自動的かつ客観的に状況把握を開始する。
なので、対処法は体が示してくれる事が多くなる。
もう少し詳しく書くと、力みや張りが残った人の技に対しては、その人が一人で一生懸命動いているのを、やや離れている位置から観察している様な視点が生ずる。
そしてその対応は、不完全な物語に作者が推敲の手を入れる様な感覚で行われる。
逆に、力みや張りが残る技は「主観的」と言え、これは技の練度や習熟度とはあまり関係が無い。
この「状況把握」は、治療や稽古においては相手の問題点と解決法の指摘に役立つ。
例えば崩し合いの稽古などで、相手の肉体そのものに力みや張りが残った上で術を駆使しようとして来た場合、こちらの肉体は自動的かつ客観的に状況把握を開始する。
なので、対処法は体が示してくれる事が多くなる。
もう少し詳しく書くと、力みや張りが残った人の技に対しては、その人が一人で一生懸命動いているのを、やや離れている位置から観察している様な視点が生ずる。
そしてその対応は、不完全な物語に作者が推敲の手を入れる様な感覚で行われる。
逆に、力みや張りが残る技は「主観的」と言え、これは技の練度や習熟度とはあまり関係が無い。
この「状況把握」は、治療や稽古においては相手の問題点と解決法の指摘に役立つ。
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