「殴りかかってくる相手への柔術的対処」/「結果としての膝行」
「殴りかかってくる相手への柔術的対処」という稽古を本格的に始めてみようと思う。
元々、打撃技で攻撃してもらい、こちらは懐に入り腕を取る、等の検証は時々行っていた。
また、信頼ある稽古相手の場合、実際当てるつもりで殴りかかってきてもらい(頭部は含まず)、それをこちらは一方的に捌(さば)く、という稽古も行ってきた。
昨年から、「相手の力の流れを誘導する」というコンセプトのもと、自分なりにだが複数人を同時に相手にする稽古も開始している。
こういった経験が蓄積し、新たな稽古を体が要求している気がするのだ。
それが、「(一部限定的だが)自由攻撃への柔術的対処」である。
頭部や危険部位への攻撃以外は、殴る、蹴る、組む、投げるなど、相手は基本的に自由とする。
こちらは相手の攻撃の質を瞬時に判断し、柔術的対応のみで対処する。
こう書くとずいぶん危険な稽古を行っているようにも見えるかも知れないが、相手はちゃんと選んでいる。
「激しい攻防の中でも、激昂して見境を無くさない稽古人」である。
防ぎ様のない不慮の事故については覚悟しているつもりでいるが、私は稽古において相手と自己の安全保持を最優先で考えたいと思っている。
そういう意味で、冷静さと実力を兼ね備えた稽古人は本当に貴重だ。
■「結果としての膝行」(けっかとしてのしっこう)
先週木曜、恵比寿にて考案した、座った状態で脚部の浮きと移動性能を高める稽古法。
跪座(かかとを立てた正座)の状態から、自由に移動しながら杖を振る。
同様に、剣を振る、又は演舞の様に両手を動かしても良い。つまり、両手に何か仕事をさせる。
腕の動きに連動させるように、両足や体全体を自在に動かす。
通常の「膝行」の稽古だと、座った状態による移動そのものを洗練する事に目が行きがちである。
しかし、上半身に仕事をさせることで、下半身には動きそのものを意識せず、自然と最適な選択をさせる様に誘導するのだ。
「結果としての膝行」である。
とはいえ、内情を正直に書けば、先週恵比寿で「座った状態で、杖や剣を振りながら自由に動き回る動き」を、突然無性に行いたくなったのである。
しばらくしてから、上記のような意味に気が付いた。
稽古をしていると、この様な「後追い」現象はよく起こる。
そして、すぐに忘れる。
ツイッターは、やはり稽古メモとして有用だ。
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